在宅勤務からオフィス勤務を再開した際の感覚。企業にオフィスは必要か?

緊急事態宣言が開けてしばらく時間が経ちました。朝晩の通勤電車に乗っている人もだいぶ増えてきています。私もフルではないまでも出社開始してます

以前、在宅勤務の所感についての記事を書きましたが、完全在宅勤務があけてオフィス勤務を再開した際に気づいたこと、思ったことを備忘も兼ねて言語化しておきます。

 

オフィスで感じる「仕事した感」は一体何なのか

私の場合、在宅勤務とオフィス勤務で同じくらいのアウトプットを出していても、何なら在宅勤務時の方が多くのアウトプットを出していても、オフィス勤務の方が「仕事した感」を感じやすいことに気づきました。

 

これ、自分でも不思議だったのでなぜかを考えてみたのですが、

  • 上司、メンバー、同僚との仕事関係の立ち話がある
  • 周りが執務している状況の中に自分が置かれることの緊張感がある
  • 通勤時間の存在(在宅勤務と比べての、1日の中での環境の変化)

あたりがありそうだな、というのが私の感覚です。

 

オフィスに出勤し、同僚と雑談、情報交換し、上司と会話し、周りが仕事しているのを見る。そういった環境に自分が置かれる。これらの状況が、アウトプットの量とは関係なく、一定量の「仕事した」感を感じさせる要因になっているような気がします。

逆に在宅勤務だとそういうことがないため、何かしらのアウトプットを作成してないと、仕事をしている実感が沸きづらいです。この差が、在宅勤務とオフィス勤務における感覚の差になっている気がします。

 

オフィスで感じる「仕事した感」は悪なのか?

オフィスで感じる「仕事した」感、一見有害なものに思えまが、私はこれが絶対悪だとも思っていません。

 

この「仕事した感(仕事してる感)」は、「組織への帰属意識」とともに、「心理的安心感」を作り出すものという感覚があります。要は、「気持ちの余裕にもつながる」という効果を感じました。

これがない在宅勤務では(特にバックオフィスでは)、何かに追われるようにアウトプットで存在を主張するしかなく、気持ちの余裕、頭の柔らかさ、視野の広さをかえって失いがちに感じます。

 

私は、完全在宅勤務を経験しないとおそらくこの感覚は持てなかったでしょう。この点だけでも、在宅勤務は価値がある経験だったと思います。

 

企業にオフィスは必要か?

在宅勤務でも業績が落ちなかったからオフィスはもはや不要だ、という主張を目にします。果たしてそうでしょうか。

 

短期的には、在宅勤務を続けた方がアウトプットの効率や量は上がるのでしょう。通勤時間もないですし。しかし、それは「今の自分の能力の範囲内のアウトプットを出し続ける」ことでしかないんじゃないか、という気がしています。

振り返ってみると、これまで自分にとってキャリアの発展や仕事を広げる過程というのは、必ずしも「その時点の自分の力」から単純に延長線を引いていく過程ではなかったなと。そういうものが、在宅勤務でオフィス勤務と変わらず得られるかというのは、正直私にはまだわかりません。

 

これは、短期的に判断すべき問題ではなく、私は結論づけるのはまだ早いと思います。

 

おわりに・・・

今回の記事は、多分に自分の感覚論です。

自律性が高く、成果を出し続けることができ、オフィスに行かずとも副業や勉強会・交流会などで視野を広く保ち続けることができ、家に十分な執務環境がある心の強い人にとっては、確かにオフィス勤務なんて何のメリットもないでしょう。

でも、そういうスーパー人材は企業に所属するという選択をしないか、外資のような給与も人材流動性も高い市場に行くのが合理的なんですよね(苦笑)。

日本企業が電子署名を使いこなすために越えるべきハードルは何だろう

昨今のコロナウィルスによるテレワーク推進の動きを受け、電子署名に関する議論が活発化しています。先般は、法務省から捺印に関するQ&Aが出されるに至りました。

電子署名の普及が以前と比べて進みつつあるのは事実ですが、こと日本においては、まだまだハードルがある、というのが私の感覚です。

ハンコの不便さやテレワークの弊害云々以前に、これまで日本企業が培ってきた文化が、ジョブディスクリプションや権限委譲を苦手としていて、それが電子署名を含む「サイン文化」に馴染まないと感じます。

 

ハンコ実務とサイン実務の決定的な違い

日本のハンコ実務において、名義人自らハンコを押しているケースは、ほとんどありません。何らかの会議体で決済をとり、稟議書等をもって、ハンコ管理部署がハンコを押すケースが大半です。

そこには、徹底した「責任の所在の不透明化」があります。単独の存在としてのサイナーは、ジャッジもしなければ、クロージングもしません。

 

一方、欧米のサイン実務においては、サイナーは自らサインをします。

そこには、前提としてジョブディスクリプションと責任範囲の明確化があります。サイナーは、自らが責任を負える(負っていい)契約であるから、自らの手で契約にサインをします。組織はそのように作られ、責任範囲があらかじめ明確化され、権限委譲がなされ、組織においてサイナー名義も細分化されます。

この「責任範囲の明確化と権限の細分化」が、「自ら書面にサインをする」というサイン文化を形作っていると感じます。

  

電子署名の使用で直面したこと

私自身の経験ですが、こちら側がクラウド型電子署名を使用して契約相手型に手続きを依頼した際、「決済や手続きの事情があるので、サイン名義は代表者にしつつ、手続き自体は事務担当が行いたい」という申し入れを受けたことがあります。

日本企業が、ジョブディスクリプションと権限委譲を本質的に苦手としていることを強く感じる例です。

改めて考えると、「自分のサインをするのに決済が必要」っていうの、本来おかしいですよね。

 

まとめ

電子署名は、ハンコと異なり、「誰が手続きしたか」が明確になります。これはハンコ実務の持つ「責任の所在の不透明化」を享受してきた日本企業には、基本的に馴染まないものです。

電子署名を本当に普及させるには、日本企業が本当の意味でジョブディスクリプションと権限委譲を欧米並みに使いこなせるようになる必要がありそうに感じます。

とはいえ、「ハンコを押すために出社する」のがバカげているのは間違い無いので、早く電子署名が欧米並みのスタンダードになってほしいな、と思います。

コロナウィルス下で、2ヶ月弱の在宅勤務(テレワーク)を経ての所感

コロナウィルスの影響により在宅勤務が開始されてからまもなく2ヶ月が経とうとしています。もちろん自分史上最長期間の在宅勤務です。

今後の人生これを超える期間の在宅勤務をするのかどうかわかりませんが、良い機会ではあるので、ここまでの在宅勤務の実感を自分の備忘も兼ねて残しておきます。

タイムマネジメントの難しさ

まずはこれ。

いろんな方が既に述べていますが、タイムマネジメントが本当に難しいですね。通勤時間がなくなったことで、オンとオフの切り替えがしづらく感じます。

仕事終わらせて夕食食べた後に、ちょっと気になってパソコン開き、そのまま意図しない時間に仕事を続けてしまったことも多数。そしてそういう時に限って大した成果が上がりません(笑)

また、同僚や上司・部下とお互いに姿が見えないため、ついつい夜遅くや休日にメールを返すなどして、「頑張ってるオレ」をついついアピールしたくなってしまうことがあります。これ、短期的にはともかく、長期的には自分のパフォーマンスが落ちます。少なくとも自分はそうでした。

こういう動きが他者に連鎖していくと、心の弱い人から長時間労働や休日労働に引きずられていき、組織全体の効率が落ちてしまいかねないので意識的に止めないといけないです。

組織的に、「●時以降の執務は原則禁止」など、強い対応が必要になるなと感じています。それこそ、平時より強く意識しないといけない点です。

フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションに勝るものなし

コミュニケーションにおいて、対面で話した時の声の微妙なトーン、応答の間、表情の微妙な変化、体の姿勢の変化などから得られる情報は、思っていた以上に重要だったという実感を持ちました。これらなしでのコミュニケーションが結構なストレスになってます。

こういった情報として得られないということは、こちらから相手の状態に対して想像を働かせざるを得ず、それが自分の脳の余計なメモリーを食っている感があり、テレカンによる打ち合わせ後の疲労を強く感じるようになりました。

「在宅勤務でもオフィスにいる時と変わらず周りとコミュニケーション取れてます〜!」という人も見ますが、正直言ってそんなはずないよなあ、と感じてしまいますね。もし本当にそう思っている人がいるとすれば、普段のコミュニケーションで上記のような感覚を働かせていない人ではないか、という気がします。

共同体意識が薄まる

「社員が同じオフィスに集まる」という行為をしていないため、自分の中での企業という共同体に所属しているという意識が薄くなっていると感じます。

これ、良い面と悪い面があります。

同じ空間にいることによる同調圧力がかからず、無駄な付き合いや、いわゆる「空気を読む」必要がなくなり働きやすさを感じることがある一方、日々の仕事による他者貢献を感じづらくなり、なんとなく孤独感や無力感を感じてしまう瞬間が増えてきた実感があります。

このあたりは、人によるのでしょうね。

チーム内に後者の傾向が強いメンバーがいる場合、そのままにしておくとパフォーマンスが落ちたり、最悪離職につながる恐れがあると感じます。いつも以上に社内や部内での定例会議等の時間をもつべきでしょう。

トピックがなくても、15分でも30分でも時間をとって、声を掛け合うことが大切に思います。

平常時のパフォーマンスを求めてはいけない

あえて言いますが、「今この状況」の在宅勤務で、平常時のパフォーマンスを出すことは難しいです。自分は無理でした。

タイムマネジメントやコミュニケーションの問題もありますが、加えて平日は勤務、休日は自粛という状況。

ただでさえ不安を感じやすい状況、かつ発散の機会が限られる中で、普段と変わらないパフォーマンスが出せるとすれば、それはもはや修行僧か何かでしょう。

自分も在宅勤務開始時は、「在宅でもいかに普段と変わらないパフォーマンスが発揮できるかが大切」と思っていましたし、周りにもそうハッパを欠けていましたが、今ではそんな気持ちは微塵もありません。前向きに諦めることをしなければ、いずれどこかで精神的に参ってしまう危険を強く認識してます。

有事の在宅勤務下では、自分や他者に期待するハードルを「前向きに下げる」ことが大事だと感じます。

いずれ世の中が平常化し、しばらく経った際にこのエントリを読み返したら、自分はどんなことを感じるのか。その時が早く来て欲しいですね。